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岁月不似春风

個別のものだと

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個別のものだと

   
先の続き。同級生を殺した人も「自分の命」は大切にしてきたはずです。それを大切にしなければ健康管理もせず、とっくの昔に病気で死んでいただろうから。過労死を強いる経営者も同様。サリン事件を命じたオウム真理教の麻原とかも。
  彼らに共通するのは、命は自分だけのものだと思い込んでいる点です。他者にも命がある事は知っているはずですが、命は分断され、個別のものだと思い込んでいるわけです。だから、他者の命がどうなろうと、私は知っちゃいないと。
  実はそれは多くの現代人が抱き、学校教育でも教えられている事なんですね。自分の命・Aさんの命・犬のポチの命・庭のモクレンの木の命などが個別に存在していると信じ込んでいる。実際は違うわけですが。全地球の命は本当は一つにつながり、関連を深くしながら、30億年も生き続けている。それが現実だし、最新の生物学でも解明されてきた事です。僕はその事をよく子供向け科学の文にも書いているので、判りますし、命のつながりを否定する考え方はおかしいと思っています。
  それから、今回の殺した少女が好んだ生き物の解剖。学校関係者に訴えますが、それはもう止めた方がいい。解剖して、何が肝臓かなとど知った所で何の意味もありません。解剖すれば生物は死ぬわけで、「命」など、見えてきませんし。殺人者を産むだけです。止めなさいと言いたいです。
  「つながり」に戻りますが、本来は命でつながっているのに個々がバラバラという幻想を抱いている。これでは、恋愛も結婚もできないね。結婚しても離婚になると。このような問題にもつながっているわけです。
  我々の今の個別命観は困ったものだと思います。
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